足痩せは足の状態で方法が異なるブログ:10-7-2015
お父さんは五十二才の時、
交通事故で盲目となりました。
顔を四十九針も縫い、
フロントガラスで目の角膜を切るという
すさまじい事故でした。
肉体も大きく頑丈で元気の良かったお父さんは、
仕事も趣味もバリバリ頑張ってきた人だったので、
突然の盲目、しかも高齢という事で
わたくしたち家族や周りの人の心配は大きなものでした。
ちょっぴり短気で勝気なお父さんが
半年の入院を終え、視力ゼロになって帰宅した時、
家族は、はれ物にさわるようにお父さんに接しました。
ところが皆の心配をよそに
退院後はだんだんと穏やかになり
笑顔をさえ見せるやさしいお父さんに変わっていきました。
高齢の為、点字こそ覚えられませんでしたが、
訪れる人と談笑し、ラジオを聞き、ビールや食べる事を楽しみ、
後には盲人会の役員までこなすという
積極的な人生を送りました。
お父さんは七十九才で亡くなりましたが、
わたくしたち家族は、最後まで一度も
目が見えなくなって辛いとか苦しいとかいう
お父さんの愚痴を聞いた事がありませんでした。
わたくしには、食べる事に関して
お父さんのどうしても忘れられない思い出があります。
それは、毎日の「かつお節削り」です。
亭主関白で仕事人間だったお父さんが
台所に入ってくるという事は、
それまで見た事もありませんでした。
事故の後、いつの頃からか
毎あさ、お母さんが食べる事の準備をしている横の食卓で
かつお節を削る…これがお父さんの日課でした。
味噌汁のだしや青菜のお浸し、大根おろし…など、
その当時の我が家の食卓には大事な必需品でした。
指先でカツオ節の方向や削り具合を確かめながら、
カッ、カッといい音を出しながら器用に削るのです。
冬になると
お母さんの漬けた極上の白菜漬に
お父さんの削り節をかけるのが、何よりのごちそうでした。